株式会社玄同鑑定事務所からのお知らせ
仏教について(10)
2016-02-04
祈りとはなんであるか?救済を求める心であると思います。
煩悩に苛まれる己を何とか、高めたい。仏に近づきたい。何事にも動じない凛とした心で、安寧に毎日を過ごしてゆきたい。そういう心が、祈りと言う形に表れると思います。いわば向上心の表れであります。
仏像の前で、自然に手が合わせられるのは、その美しく何物にも捉われないような素晴らしいすずしい表情に思わず引き込まれ、ああ、自分もこのような境地になりたい、すなわち、仏様に近づきたいと思うからであります。
仏教は、究極は、仏になることが目標であります。その実践が毎日のすべての行いなのであります。
具体的には、好事は他に与え、悪事は己に導く・・・と言ってもなかなかできることではございません。
できたら、感謝して手を合わせる、できなかったら申し訳ない、今度必ずできますようにと手を合わせる、
これが祈りであると言っていいでしょう。
煩悩に苛まれる己を何とか、高めたい。仏に近づきたい。何事にも動じない凛とした心で、安寧に毎日を過ごしてゆきたい。そういう心が、祈りと言う形に表れると思います。いわば向上心の表れであります。
仏像の前で、自然に手が合わせられるのは、その美しく何物にも捉われないような素晴らしいすずしい表情に思わず引き込まれ、ああ、自分もこのような境地になりたい、すなわち、仏様に近づきたいと思うからであります。
仏教は、究極は、仏になることが目標であります。その実践が毎日のすべての行いなのであります。
具体的には、好事は他に与え、悪事は己に導く・・・と言ってもなかなかできることではございません。
できたら、感謝して手を合わせる、できなかったら申し訳ない、今度必ずできますようにと手を合わせる、
これが祈りであると言っていいでしょう。