株式会社玄同鑑定事務所からのお知らせ
盧舎那仏
2014-05-28
南都六宗の一つである華厳宗の総本山が東大寺である。当時、戒壇院は日本に3つしかなかった。戒壇院とは戒を授けるところ、すなわち得度するところである。筑紫の観世音寺、下野の薬師寺と東大寺である。お坊さんになるには、このいづれかのお寺で受戒しなければならなかった。朝廷は、僧綱で年分度者といって、その数を厳しく管理した。
最澄は、権力を持って腐敗しつつある南都六宗を嘆き、山岳仏教を目指すべく比叡山に天台宗を開くが、なかなか年分度者を割り当てる勅許が下らなかった。ようやく戒壇院の設立が認められたのは、最澄の死後3年後、822年である。このとき桓武天皇から「伝教」の大師号を戴き、寺号に「延暦」を授かる。
その辞世は「わがために経を読むなかれ、わが志をのべよ」
最澄は、権力を持って腐敗しつつある南都六宗を嘆き、山岳仏教を目指すべく比叡山に天台宗を開くが、なかなか年分度者を割り当てる勅許が下らなかった。ようやく戒壇院の設立が認められたのは、最澄の死後3年後、822年である。このとき桓武天皇から「伝教」の大師号を戴き、寺号に「延暦」を授かる。
その辞世は「わがために経を読むなかれ、わが志をのべよ」